プロ野球で大活躍できる選手とクビになる選手は僅かな差は本当か?

外角1個分のコントロールの差の話

「プロ野球で大活躍している選手と、1軍出場すらままならずクビになる選手の差は実は僅かである」という話を耳にしたことがあります。
私が野球関連の書籍で見た話が以下です。
学生時代は力量も実績も同じだった二人の投手がいました。プロに入りA投手はタイトルも取り、年俸も億を超えるスター選手になりました。一方B投手は1軍登板は無し。数年で戦力外通告を受けました。二人の差は「実は外角ボール1個分の出し入れができるコントロールの差」だけであった。プロとはそれだけシビアな世界なのだ。

当時はなるほど~と思ってましたが、本質を学んだ今だからこそ、「これって本当?」という見解をお送り致します。

まずボール1個分の出しれは小さなことではない。

まず、「外角ボール1個分の出ししれの差」これは野球を本格的にやっていた人だとわかりますが、たとえプロのレベルでも小さな差ではありません。

プロのレベルなら、置きに行った球で1個分の出し入れなら可能な投手は多いでしょうが、力を込めたボールでの出し入れによる、1個分のコントロールのは非常に難しく、それができるかできないかは「大きな差」なのです。

この「大きな差」を作るためには、「わずかの差の積み重ね」が重要となります。

僅かな差とは何でしょう? 簡単に一つあげうなら毎日の練習に手を抜かないことです。もちろん皆プロ野球選手ですから、練習量も相当なものだと思います。それでも他の選手より+1(+10分とか、+1セットとか)の積み上げを毎日コツコツできるかだと思います。

他にも、食事・体調管理・生活習慣・科学的なトレーニングなど、プロだから当たり前ではなく、他の選手より1ミリだけでもいいので、差を作り積み上げていくことで、のちのち大きな差を生みます。

これは、プロ野球選手だけではなくすべての仕事において同じです。

ただ、毎日ボールをがむしゃらに投げてていても、やみくもにトレーニングをしても手に入るものではなく、考えて、頭を使って、協力者を得て+1の積み上げを地道に創り上げていくことが大変重要です。

つまり、小さな差が大活躍できるか日の目を目ずに消えていくかという話は本当です。

それでも、外角のボール1個分の出し入れという、著者が分かりやすくつかった表層的な表現を真に受けてしまうことは危険です。

環境も重要

僅かな差を作るために最も重要なもの。それは環境です。

チームの雰囲気やVision、監督、コーチ、まわりの選手。これらの影響は計り知れません。

元読売巨人軍の大田泰示選手なんかはとても良い例だと思います

大田選手はジャイアンツ時代鳴り物入りのドラフト1位で入団も日の目を見ず、2017年に日本ハムにトレード。トレード後は中心選手として大活躍して年俸も1億を超えるスター選手になりました。

ここで表層的な話しでよく出てしまうのが「太田選手って最初っから日本ハムだったら、凄い成績残してたよね。2000本安打も打てたんじゃ・・・」

これはもう検証しようがないことなので本当のところはわかりませんが、大田選手は巨人軍時代の苦労があったからこそ環境を変えたことで大成功したと私は思います。

苦労も無く、なんとなくいやだなと思って環境を変える人に成功は訪れません。

最初から日本ハムだったら、多くの人が言う通り活躍したかもしれませんが、もしかしたら今ほどの活躍は無かったかもしれないという見方もできます。

全ては自分にとって必要な体験だったと思えるかどうか。

プロ野球選手はドラフト制なので、自分で入る球団は選べませんが断ることはできます。つまりドラフトはきっかけにすぎず、決めたのは自分なのだ という自己責任感を持てるかどうかはとても大きな要因であると言えます。

そして、超一流の選手は環境すら球団に左右されないように自分で作ります。

メジャーリーグで活躍した野茂投手や上原投手は、ルーキーでありながら入団時契約書に「投球フォームを改造しない、投球フォームにくちを出さない」という条文があったと言われています。

トップ中のトップは環境の重要性を知っているからこそ、自ら道を切り開くべく、自分にとってよりよい環境を自ら作ります。

ただし、これは成果が出なかったらただの我儘と非難されます。リスクがあるということは頭に入れておく必要があります。

野球の実力だけではなく、こういった環境作りのための工夫も、差を作る大きな要因と言えます。

目の前の快楽を手放せるか

外角ボール1個分の出し入れを作るための、努力の時間を作れるか。

そして、その努力の時間を作るために、目の前の誘惑や快楽を手放すことができるかどうかだと思います。

プロ野球選手になったら、色んな人からチヤホヤされてお誘いも多くなるでしょう。

ルーキーイヤーは契約金もあるため、お金もかなりあります。そうなると・・・遊びたくなりますよね。

そして、プロ野球選手であっても、決められた練習や試合の時間以外は、遊んでいる人の方が大多数(マジョリティ)だと思います。

そこを捨ててでも、外角ボール1個分の出し入れが欲しいと思えるかどうか。

はっきりいって変人だと思うのですが、こういう人って「外角ボール1個分の出し入れができれば大活躍できて、高額な年俸にありつけ、夢のような生活ができて、みんなに自慢できる」という思考がありません。 こういう思考だと努力はなぜか続きません。

ただ愚直に「外角ボール1個分の出し入れが欲しい」という純粋な気持ちしかないのです。

そして、それで試合で成果が出て気持ちいい。もっと努力したくなる。次は半子ぶんの出し入れが欲しくなる・・・さらに好循環。歴史に名を残す投手となる。

プロ野球選手だとちょっと存在そのものがマイノリティすぎて、ピンとこないかもしれませんが、まあまあの高校でエースピッチャーになるレベルの投手も学生時代はこういう思考を持った子をしばしばみます。

私の知りあいでビジネスパートナーの行政書士の先生は、高校時代都大会でベスト4の実績のある投手で、その後草野球ではちょっとした有名になった投手で私の運営する野球チームで5年間エースとして活躍してくれました。そんな彼も投手としては、このただいいボールを投げたいという感覚の虜になっていた話を聞きました。

快楽を捨てるか、快楽を捨て必至で努力するのか。
これは、どっちが良いのか?と聞かれると、人によりどっちを選んでも間違いではないと思います。

自分が後悔の無い方を選べばいいのです。

もちろん、プロ野球選手になった時点で皆学生時代は代償の先払いをしています。

普通の高校生がやるような遊び、日常を捨て 毎日野球漬けで、、、それでも甲子園やプロのドラフトにかかる選手はほんのほんの一握り。

代償の先払いは高校生・大学まででおしまい。プロに入ったら遊ぶのだ。
これはむしろ普通の感覚ではないでしょうか。

代償となる快楽は、人生のステージが上がるごとに装いを変え訪れます。高校生時代に捨てる快楽とプロになってから捨てる快楽では、快楽のレベルも違うので、全員が突破できるものではないのです。

サラリーマンであっても同じです。学生時代は快楽を捨て勉強に没頭出来て高学歴を手にし、有名企業に就職できた人たちも、そのステージで訪れる快楽は捨てられず埋没してしまうケースは多々あります。

一方学生時代は快楽に溺れてしまい、いい企業に入れなく埋没したサラリーマン人生を送っていても、ある日突然快楽を捨て、勉強を始めて快楽を捨て成功する人もいます。

どっちの人生、生き方を自分が選択したか。

それにより、大活躍できる人と、日の目を見ず解雇されたり、埋没していく人の違いが生まれるのではないかと私は強く信じています。

快楽を捨てるという選択肢は強要しません。それでも、普通の人と違う人生を歩みたいと思ったら、目の前の快楽を捨てることを選択する必要があります。

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