禁句:誰のおかげで飯が食えるとおもっているんだ
「誰のおかげで飯が食えるとおもっているんだ」これは奥さん(特に専業主婦)に対して最も言ってはいけない一言ではないかと思います。
言ってはいけない一言ではなく、思っただけでも同じくダメです。
この言葉を発してしまう・思ってしまう原因は、視野・思考の狭さとその時の感情に身を任せてしまい、しっかりと先を見据える力量の無さが原因です。つまりこの言葉を発する・思う=人間力の低さを自覚しなくてはいけません。
特に足りていないのが「謙虚さ」です。
この言葉、思考が出そうになったら「謙虚さ」が足りない ダメだ!戒めよ!と自戒する必要があります。
誰のおかげで飯が食えるのか?
お金を稼いでくる夫であるあなた“だけ”のおかげでしょうか?
その給料を払ってくれているのは会社です。そう考えると、会社のおかげでもあります。
経営者の人なら取引先や、一緒に働いてくれるスタッフのおかげです。
「私の稼いだお金」「私のお金」という執着があるから、勘違いして飯を食えてるのは俺のおかげだというエゴが生まれ、そのエゴを奥様にぶつけてしいまうのです。
本当に稼いでいる人、本当に力量のある人、本当に魅力のある人は「私のお金」「私が稼いだお金」というエゴや執着がないので、奥様に対してこの禁句:誰のおかげで飯が食えるとおもっているんだ をぶつけることもありません。
視野を広げて、感謝の気持ちを持とう
夫なら稼いでいるお金は、前述のとおり会社や取引先から頂いているものという視点
ご飯が食べられるのは、稼いでいるお金だけではなく、お米を作ってくれている農家、それを流通している流通業者、お米を炊き上げる炊飯器を作ってくれたメーカー、それを販売してくれる店舗・・・ と多角的に視野を持つと、色んな人のお陰で飯が食えているんだ ということに気づきます。
私は生きているのではなく、生かされている
もっとたくさんの人に感謝して謙虚に生きないといけない という視点を持つことです。
その言葉を発してもプラスが無いことを理解する
極論ですが、「誰のおかげで飯が食えるとおもっているんだ」この言葉を発して、夫であるあなたが幸せになれるのなら、発せればいいと思います。
それにより、気の強い妻と喧嘩をすることで幸せを感じられる
気の弱い妻なら、涙する姿を見て幸せを感じられる
あなたがこんなサディスティックな変態なのであれば、どうぞお好きなように発すればいいと思います。
その結果妻が去っていくことになっても、ご自身の選択された言葉ですから・・・
でも、この言葉を発することで、起こることにハッピーになれないのであれば、なぜ発するのでしょうか?
「そのときどきの感情に身を任せる」このステージはもう卒業しませんか?
夫であるあなた自身が幸せになり、家族も幸せにするために。