世界に一つだけの花の歌詞が嫌い

「俺さぁ、最近流行ってる 世界に一つだけの花嫌いなんだよね」

20代の頃勤務していた、落語家の鞄持ちかと思うくらい厳しい不動産会社の社長が言った言葉を思い出した

その社長は世界に一つだけのどの歌詞が嫌いだったのかと言うと

「No.1にならなくてもいい じゃなくてNo.1になれよ そこから逃げてるんじゃねぇよ」でした。

当時は相変わらず変わってるな~いい歌詞じゃんと思ってた青年のタデヌマですが・・・

最近、めっちゃその気持わかる~ No.1になれない人間がオンリー1なんかなれるわけないし、先ずは競争社会、相対性の中で死ぬほどヤレこらって思ってます(笑) 今なら当時の勤務先の社長の気持ちがわかる~って思ってしまいました。

ただ、誤解してほしくないのは私は、その考え方を押し付けるつもりはなく、やりたいなら諦めずに最後まで徹底してやって1番目指せばいい。やりたくないならやらなくていい。それも間違いではない。どちらを選ぶかは人それぞれ自分次第。後悔のない方を選んで下さい 以上 です。だらだら生きてる、No.1を目指さない、勝とうとしない人を否定するつもりはありません。

尾崎豊さんの 僕が僕であるためにの歌詞に「僕が僕であるために勝ち続けなきゃいけない」という歌詞があります。こちらについては、その先にある「勝ち続けた先にようやく気づく、勝つことだけが全てではない」と勝手に私は解釈しています。

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃいけない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる

尾崎豊 僕が僕であるために 歌詞一部抜粋

勝ち続けた人が、勝ち続けたことで、苦悩や孤独を感じ、勝つことだけが全てじゃない。敢えて負けることも必要であり必要な負けもあり、それに気づき受容したときに次のステージにいけるんだと思います。

一度も勝ったことがない、まあまあそこそこの成果しか上げたことがない、人が、勝つことだけが全てではないというのはおかしい。ただの逃げだと私は思う。

話は世界に一つだけの花に戻りますが

一人一人違うのに その中で一番になりたがる

この中で誰が一番かなんて 争うこともしないで バケツの中誇らしげにしゃんと胸をはっている

世界に一つだけの花 歌詞一部抜粋

これについても、違和感を感じます。一人一人違うのに一番になりたがる? 一人一人違うのなんて当たり前で、その中で競走があるのが普通じゃないかと。

この中で誰が一番かなんて、争うこともしないで バケツの中誇らしげにしゃんと胸をはっている は、バケツを企業や組織と例えるなら、自分がやるべきことをやって しゃんと胸をはっているなら良いですが、それもやらず 誇らしげにしゃんと胸をはってた、ただの空気読めないアホです。

都合の良い歌詞に逃げて、依存するのではなく自分なりの価値観・考えを持って、困難に向き合うことから逃げないようにしたい。