猜疑心・性悪説の上司のモノの見方

猜疑心の塊の上司、性悪説でしか見てくれない会社の環境に辟易したり、心が疲れてしまっていることはありませんか? これらに対しどういう心の持ち方・在り方をすれば苦しまないかをお送りいたします。

大前提 経営学は性悪説であることを受容する

まず、残念ながら労使管理において、労働者は怠惰で無能だから管理しないと生産性はあがらないという性悪説の学問を取ったのが経営学です。

まずは学問的にそういうものだから、そういう見方をする上司や会社・経営者の方が多いんだと受容しましょう。

一方、あなたの勤務先が、性善説を前提にする会社経営やマネージメントをしてくれる社長や上司だったら「非常に恵まれている」と肯定的に捉えてこのブログはここで閉じて頂いて結構です。

人を疑うことしかできない上司は、だらしない人に多い。

猜疑心の塊、疑うことでしか見れない、重箱の隅をつっつくような上司・・・

残念ながら結構いらっしゃいますよね。

猜疑心の塊になってしまった人は、他人から裏切られたからではありません。

自分自身の約束を多く破ってきたため、人も自分との約束を破るものだと性悪説で観てしまうのです。

つまり疑り深い上司は、自分の自分自身との約束(毎日これを継続しようとか、今年こそこれをやるぞとかをことごとく、自分との約束なんて誰も知らないし、誰も見ていないから・・・と破ってきた人なのです)

もっというと、こういう人は極論「バレなきゃいい主義」です。

人の見ていないところでポイ捨てしたり、交通ルールを破ったりします。

口癖は「誰にも迷惑かけてないんだからいいだろ?」です。

毎日疑われて、重箱の隅つつかれて辛い・・・と観るのではなく、

「自分との約束を守れないだらしない人、信じることのできない可哀そうな人」

という目線で観ると、受け取るあなたの心に少し余裕ができるはずです。

私がそうでした。

私は2019年くらいまでは、所謂 怖い上司 に入る部類だったと思います。

怒鳴ったり、暴言を吐いたり、強い言葉を浴びせかけることはありませんが、論理的に理路整然と話し正しさを押し付け、常に結果と理由と根拠を部下に求めてきました。

力量の低い部下に対しても「なぜできないのか?」「何故努力しないのか」と正しさを振りかざしていました。

一見すると仲の良いと思っていた職場以外の付き合いの人からも、「あなたの価値は何ですか?」と常に問われているようで、とても対等なお付き合いとは思えなかったと、後日(私が変わってから)言われたことがあります。

この頃の私は、性悪説でマネジメントをしていました。重箱の隅を突っつくこともやっていました。

そして、この頃の私は会社からあたえられた目標などは貪欲にこなしていましたが、私生活で生活習慣を改善しよう、資格を取ろう、人に優しくなろうなど自分で立てた目標=自分との約束はことごとく反故にしてきました。

私の場合幸運だったのは、自身の経営する会社がうまくいかなかったことです。

そのため、変わろうと思い、人間性を磨くことと、勉強を毎日継続することを1年間続けました。

自分との約束を守り、コツコツ積みあがることの素晴らしさに気づいたころ、自然と部下を疑わなくなりました。

丁度緊急事態宣言が出て、在宅勤務が始まったタイミングだったのですが「部下は家でサボっている」なんてこと全く思いません。

1日メールが無くても、何も気にならない

報告連絡相談なんて無くて当たり前 と思うようになりました。

性悪説と性善説 どっちの方が 結果は出る?

分かりません。

ぶっちゃけ、短期(単月や目先の数か月)で言えば、性悪説でケツ叩いた方が売り上げや新規の契約件数は増えると思います。

でも、リーダー(経営者や上司)に求められることは、実は目先の売上ではありません。

中長期的に会社を豊かにし、社員を幸せに導くことです。

ここの本質がブレて、目先の売り上げを出すことだけにしか目のいかない上司や経営者が多いから、日本の労働者のエンゲージメントが低い(確か7%=100人中7人しか愛社精神が無い)のだと私は思います。

今日からでも、部下を疑うことやめてみませんか?

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