批判に強くなる批判の捉え方
「批判」を受けると、大なり小なり人は傷つくものだ。
批判の多くが、的外れなのに「わかってくれていない」という葛藤から心に傷を負う。
「気にする必要はない」で気にしないことが出来たら、多くの人が幸せになっているであろう。
殆どの人が出来ないから大変なのだ。
では、なぜ批判の多くが的外れや過剰なのか。
探究していったら、それは必然だった。そしてその必然に気づいた時に、批判がいかに下らない陳腐なもので、あぁだから気にする必要はないんだなと腑に落ちた。
この捉え方を、一人でも多くの人に知ってもらいたくブログを書くことにした。
アナタは私のほんのイチブしか知らない
B'zの曲 イチブトゼンブの歌詞ですが、非常に深い。この歌詞から気づきを得た。
そう、イチブしから知らないから批判が的外れだったり過剰なのだ。
その瞬間の発言や行動、見えた部分に対してだけ批判や批評をするから、大局で見ると的外れで批判をされた側が傷つくのだ。
近くにいる、夫・妻・子・親であろうが、わたしのあなたのことは、ほんのイチブしか知らない。
子どもが小学生くらいまでは、全部知ったきになっている親もいるかもしれないが、イチブとは言わないが、多くのことは知らないだろう。
B'zのイチブトゼンブの歌詞の続きには「全てを知るのは到底無理なのに」とある。
更に「僕らはどうしてあくまで何でも征服したがる」とある。
そう、全て知るのは無理なのである。それなのに知ったつもりで征服したがり、お互いに苦が生まれる。
上記の最たる例が、中小零細企業のダメな経営者がやりがちな、社員のイチブをあたかも全てのように捉え、批評・批判をして、征服しようとする人としての愚かさの象徴を自ら演じている愚行。
仕事の批判に対するイチブトゼンブ
社会人であれば、仕事の内容や結果を批判され傷つくこともあると思うが、それも、あなたの仕事は実は全部見られているようで、イチブしか見えていないのだ。
直属の上司で、マネジメントのプロや鬼であったとしても、全部は見えていない。むしろ見えていない部分のほうが多いはずだ。
そして、良い上司・マネジメントが在る一定のレベル以上の上司は殆どいない(良い上司、マネジメントを知る上司はマイノリティ。残念ながらマネジメント出来ない上司がマジョリティ)
だから、あなたの仕事や仕事ぶりが正当に評価されないのはむしろ普通なのだ。
「私の上司は、的確なアドバイスや指摘をくれて、評価も正当です」
という人は、運が良いマイノリティなのだ。そして、そのマイノリティを正しさとして押し付けるのも、見方によっては批判であり、マイノリティ・マジョリティを見誤った批判と変わらない行為なのだ。
- アナタは私のほんのイチブしか知らない
- アナタは私の仕事のほんのイチブしか知らない
- 全て知ってもらうのは到底無理なのに、知ったつもりになって征服したがるのね
と捉えられるようになると、的外れや過剰な批判や批評は、100%スルーとはいかなくてもだいぶダメージは軽減できるのではないだろうか?
あなたの目上である、社長・上司・親、パートナーである夫や妻、恋人も、あなたのイチブしか知らないことを理解できた時、人生は生きやすくなるのではないだろうか。
「親だから、上司だから、社長だから、パートナーだから私のことをもっと知る必要がある」これはエゴ以外の何者でもないだろう。
親だろうが、パートナーだろうがその人にはその人の人生の主役はその人で、あなたではないのだ。
とはいえ、イチブで仕事・人間関係を構築しないといけない現実もある
結局は、その今この瞬間のイチブが、眼の前にいる方からするとアナタであり、イチブの振る舞いで仕事や人間関係を勝負していかないと行けないのが現実である。
こちらについては、また別の見方になるので、次回のブログで書く。