偏差値・学力分は何のためにあるのか
偏差値と学力分けは何のためにあるのでしょうか?いい点数を取らないといけない・上を目指すことが当然かのような世の中に疑問を感じたことを本記事ではお送り致します。
多くの親が間違いを犯している
「我が子を少しでもいい高校や大学へ行かせたい」
これは親のエゴです。子供からするとぶっちゃけいい迷惑でしかありません。
そもそも、いい高校、いい大学、悪い高校、悪い大学という概念は存在しません。
東大・京大はいい大学? 偏差値30台の高校はダメな高校?
やるからには上を目指す、少しでもいい偏差値の高校・大学へ・・・
無理をして、いい高校やいい大学に入っても、それがあたなのお子さんにとって「苦しみ」となってしまったら、それはいい高校、いい大学と言えるでしょうか?
背伸びをしていい高校やいい大学に入り、勉強についていけず塾や家庭教師、勉強三昧の学生生活、最悪の場合途中で辞めてしまう
「いいえ、うちの子は背伸びをした学校に入れましたが、もっと伸びていまはエリートです」
という反対意見も聞こえてくるので言っておきます。
背伸びをした環境が、最適な環境の子もいれば
同じくらいのレベルで学んだ方が最適な環境の子もいれば
ちょっとランクを落として楽な環境が最適な子もいます
他にも、学校の環境(教育方針や校風)は様々あります。それをしっかりと理解し、また我が子のことも理解したうえで、多くの条件からベストな環境を追い求めるサポートができる親であれば、それは素晴らしいことです。
とろこが、多くの親が 偏差値・学力・表面的にしかみえないこと で 「良い学校、悪い学校」を判断しがちだと言いたいのです。
そもそも、自分のお子さんが、背伸びした方がいいのか、同じレベルがいいのか、ちょっと楽な環境の方がいいのか 把握されていますか?
「人間である以上、上を目指すのが当たり前だ 俺は私はそうしてきた」
もはや、これはハラスメントでしょう。
あなたの子供であることは事実ですが、あなたとお子さんは違います。
偏差値の見方を変える
偏差値は優劣を競うものではない。
我が子の適正な進学先を見定める羅針盤の一つである。
こういう見方をするとよいと思います。
そして、間違えても子供に対いて、勉強ができる人は凄い人、いい人で、勉強ができない人はダメな人みたいな言い方をしてはいけません。
お子さんは、特に小さいうちは洗脳されてしまいます。
勉強ができない=愛されない
こういう受け取り方をしてしまうことが、子供の将来を潰します。
偏差値なんて所詮人間が作った概念、目安でしかない。
どうか、我が子を 相対性の世界観ではなく、絶対的な世界観で慈しんで頂けたら幸いです。
我が子をよりよい環境で学ばせたい この視点は大事
偏差値や学力レベルだけで観ずに、総合的な良い(我が子にとっての)ベストな環境を追い求めるサポートをすることは賛成です。
どんな環境で、どんな人から学ぶかで人は大きく変わるからです。
偏差値だけ良くても、我が子にとってはマッチした環境ではなく、教えてくれる人の人間性が欠落しているような環境はやめた方がいいです。
我が子に合った環境、人間性が素晴らしい教師のいる環境に送り込むことができたら、あなたの子供は恐ろしく伸びます。
そして、恐ろしく豊かな人生を歩むことができます。
とはいっても学校までは選べても、教師までは選べないのも事実。
学校だけで考えず、何か不足しているリソース。例えば学校は良くても教師がいまいちだと判断したら、そこを保管する習い事などで埋めればいいのです。
親は子にとって軍師であれ、軍師である以上子のことをよく知らなければいけない。でも子供は難しいもの。根掘り葉掘り聞いても教えてくれない。
だから、相手のことを本気で想って、相手の立場に立って物事を考え、子供の尊厳に慈しむことが大切なのです。
仕事ではできているエリートパパ・ママも何故か子育てではできない?
どうしてでしょう?
子供を下と観ているからです。対等に観ましょう。
少し話がそれましたが、子供が学ぶ環境がどれだけ大事かということは、歴史が教えてくれています。
孟母三遷の教えについて以前に書いたブログ上がりますので、そちらを参照ください。