言葉の重みを司るもの

言葉の重みとは何から生まれるのでしょうか?先日私がお会いさせて頂いた、言葉の重みがハンパじゃない方から感じたことをシェアします。

当たり前のことしか言わない

ビジネスのアドバイスを頂いたのですが、振り返ってみるとその方は、当たり前のことしか仰っていませんでした。

それなのに、言葉の重みが過去対面した人の中でずば抜けて重く、すべてがその通りだなとしか思えませんでした。

口数も決して多くありません、ポジショントークもしません、テクニックも一切使いません

恐ろしく自然に、恐ろしく私に対してだけエネルギーを向けて、恐ろしく自然に何の打算も無く、ただこの空間、目の前の私の相談という事象にだけ向き合い、当たり前のことを仰ってくれます。

同い年の方でした。

少々のレベルの差なら、その圧倒的な存在力と言葉の重みに、嫉妬したと思います。

ところが、ここまで差があると全く嫉妬という概念すら生まれませんでした。

言葉の重みはどこから来ているのか

一つだけ分かったことがあります

それは、絶対的に100%信じているものが、その方にはあるということです。

0.000001%の濁りもなく、100%信じているものある。

一方私は100%肯定している、肯定していますと言ったものに対しても、数パーセントの濁があったことに気づきました。

強い、100%信じ貫き通せるものがある人は、ここまで恐ろしく強いのかと感じました。

相対の世界の中で生きていません。

絶対的な世界の中で生きていることが、その方の世界観を作り出しているのだとただただ畏れしか感じませんでした。

もし営業職だったら

その方が営業職だったら、恐ろしく売ると確信しました。

何故かというと、存在力が絶対過ぎて席に座った時点で契約が決まると思います。

商品力?値段? そんなチンケな話ではありません。

この話を例えるなら、もしその方に「うちで一緒に働きませんか?」と言われたら、私は何も聞かずにイエスと言ったと思います。

普通、待遇面など気になると思いますが、待遇面が気になってる時点で条件、相対の世界なのでしょう。

このレベルまで行くと、そんなのどうでもよくなります。

この方みたいになりたいですか?

率直に申し上げますと、なりたくありません。

正確にいうと、相対の世界観にいらっしゃらない方なので、比較できないため なりたくない というより、なれないんです。

うまくいえませんが、それくらい凄いということです。

ただ私が受けた影響は、相対の世界で生きていては、いつまでもオレこんなもんだ ということです。

世の中には本当にすごい人がいる

この方と触れて気づいたこと。

それは、世の中には本当にすごい人がいるんだということです。

表面上メディアに露出しているインフルエンサーの人たちも、当然私なんかに比べたら雲の上の方ですが、

そんな彼らも、この方と比べると大したことはありません。

ここまで絶対的な方に出会え、触れ合う機会があったことで私のモノの見方、パラダイムが変わったことは感謝しかありません。

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