お礼が無いことに対する捉え方で幸福度は変わる。
ある程度の年齢になり、ある程度の職位に就くと目下にご馳走・所謂奢ることはそれなりに経験されると思います。
「今どきの若い人ってさぁ、ご馳走してあげても次の日お礼のメールの一つも無いんだぜ」
私もそう思っていた時代もありました。
確かにごちそうされた側の方は、その場でのお礼だけでなく、当日中もしくは翌朝お礼のメールなどを入れていおくのは良いことだと思います。
今の私の感じ方はこうです。
お礼のメールや連絡をくださる方に対しては、ご丁寧にありがとうと心より敬意を表しますが、、、、
こちら(私)が現金を切るという運気が上がる行為行動をさせて頂いているのに、お礼まで頂いてしまい恐縮だ・・・・と。
お金を払うことで、その場で「ごちそうさまです!ありがとうございます!」という言葉も頂けて、運気も上がって、次の日お礼の連絡を頂けるなんて至れり過ぎてこわい・・・と思います。
なので、次の日お礼の連絡がない人を失礼だなんて思うことは全くありません。むしろお礼が無いのが普通だよねくらいの感覚です。
どんなにお金を手に入れて、ご馳走しまくって、ばら撒きまくっても
お礼の連絡がないことを失礼だななんて思ってるうちは幸せは訪れません。
ある程度(他者に振る舞える程度)のお金を手に入れた後は、捉え方の器を整えない限り、いつまでたっても虚しかったり、お礼の連絡の有無に一喜一憂する人生になってしまうのかもしれません。
お金を払う・払わさられるという感覚をどう捉えるかだと思います。
現金を切るという行為行動の原則をメンターから学んで本当に良かったです。