上杉謙信が無敗だった理由
上杉謙信は生涯無敗(68勝2分)だったと言われています(※他文献では2敗など諸説あります)
ちなみにライバルの武田信玄が72戦49勝3敗20分ですから、こちらも凄いですが 武田信玄に無敗という文献はありません。
上杉謙信の何が優れていたのか?について解説していきたいと思います。
武田信玄に 塩を送った話
有名なお話です。
軍事同盟を破棄されたことの報復として今川義元が「塩」を武田家に対し封鎖しました。
それにより武田家はミネラル分が取れなくなり、脚気などの病気が流行してしまいます。
病気が流行したことで軍事力が低下しましたが、それでも今までの圧倒的な戦力に恐れをなして他国は攻めようとはしません。
軍事力が互角である上杉家なら、この武田家が軍事力が低下したタイミングであれば、倒せる。武田家を叩きに行って!上杉謙信!と誰もが思ったそうです。
ところが上杉謙信は、叩きにいくことなく武田信玄に「塩を送ったのです」
汚いこをしたくない・不義理なことをしたくない・義を通したい
上杉謙信が無敗だった所以を私は、この筋を通す・義理を通すところにあったと思います。
筋を通し義を果たすことで、信頼信用が積み重なり結果として人がついてくる。人がついてくることで国力・武力が上がる。もちろんこれだけではなく、上杉謙信が戦術などに優れていたこともあると思います。それでもどれだけ戦略・戦術が優れていても、人が集まり、ついてこなければ強い国は作れません。
義理を通し、筋を通すと負けないし、勝てるし、お金や人脈、地位が後から結果として着いてくることを歴史的に証明してくれているのが上杉謙信と言えます。
実際のこの上杉謙信の義理を通すスタイルを、のちの権力者たちが取り入れています。
織田信長もマネをした
上杉謙信が全盛期だったころ、織田信長はまだ弱小の尾張のイチ武将でした。
織田信長は上杉謙信のように強くなりたいと思い、戦略や戦術を徹底的にマネをしたという説があります。
ところが上杉家のように強くなれない・・・どうしてだろう?と織田信長は苦悩しました。
考えて考えて考え抜いた結果、気づいたことがありました
「義を通してなかった。筋を通そう。儀礼を通そう」
と言い出し
そこから茶の湯を見出しました。
武士と言えども茶のお湯を学べ
そして、これをマネしたのが豊臣秀吉。そして秀吉が見出したのが千利休。そしてそれを継承したのが徳川家康です。
代々の権力者たちは 筋を通し財を得て勝負に勝ってきたという歴史事情の事実です。
筋を通し義を果たすことで、信頼信用が積み重なり結果として人がついてくる。
歴史上の人物たちが立証してくれています。